こはるの独り言

Twitterに収まらない言葉達の置き場所です

ただ、幸せを願う話

(この内容は以前別の場所で2020/6/18に公開したものとほぼ同一のものです。少し加筆修正。)

こんにちは。こはるです。

Twitterでは極めて明るいおバカなオタクなので、少し暗めの重めの部分の話を。

図書館の奥にある、少しホコリの積もった本のような感情です。誰かへの悪口や文句は書いていませんが、考えが合わなくて不快だなと思われた方は無理せずフォロー外したりブロックしたりご自由に。

 

最近のベイストで「二宮くんはめったにイライラしないし怒らない」ことが再認識できましたね。
6/7では人間はイライラしないことは無いと言いつつも、いつイライラしたか思い出せない二宮くん、6/14は「滅多に怒らない、その場の為に怒る、怒ってもらう」と語る二宮くん。

穏やかで無駄なエネルギーは使わないし怒るのは嫌なことだという認識のある素敵な二宮くん。

だからこそ、
『「嵐の休止後ニノなら俳優でもやっていけるもんね」と言った知人の連絡先を「どの口が言ってんだこの野郎」と思いながら消した』
という事実の強烈さが際立って思い出されました。


「必要に駆られて怒る」という普段の行動からは完全に逸脱した感情剥き出しの冷たい怒り。
これ、結局嵐への想いの熱さから生まれているんだなぁって。思いました。嵐に還元できないことはやらないと決めている彼のことだから、休止後の身の振り方をずっとずっと考えていた(いる)んだろうなぁって。

愛の重さ。なぜか切なくて息苦しささえ覚えました。この息苦しさの要因をずっと考えていたら、やっぱりあと半年で彼の愛する嵐が1度歩みを止めるということも1つの要因としてずっとそこにいることに気付きました。

昨日は彼の37回目の大事な誕生日でしたが、数年前の誕生日に、それだけ大好きで愛しているグループの歩みを止めようと言われた時、そしてそれが誕生日だったことに考えを巡らさずにはいられないのです。もちろんリーダーが悪いとか責める気持ちはゼロなのですが。

悲しかっただろうか。苦しかっただろうか。大好きな大野さんの意見だからびっくりしつつも受け止めて、ごちゃごちゃの感情を押し込めて、彼らしくその場の雰囲気作りに徹したのだろうか。

去年もですが、6/17になるとやっぱり考えてしまった。もちろん二宮くんが大好きで、おめでとうというお祝いと愛を伝えることに忙しく幸せな日でもあるのですが、頭の片隅に、やけに目に付く誰かの忘れ物みたいに、ふと過ぎってしまうのです。

おめでたい日なのに色々考えてしまう、こんなファンで本当にごめんなさい。でもこうやって自分の気持ちに素直になることもきっと大事で。それによって「誰かを傷つける」のはいけない事だけど、「自分の傷に向き合うこと」は前を向くために必要なのかな、と。私はそう思って生きています。
実際、自分の思いをつらつら書いてたら少しすっきりしてきました。ファンとして、誕生日が彼にとって色んな意味で「とくべつ」になってしまったその事実ごと愛する覚悟ができました。

あの時のことは5人にしか分からないけど。
誰も悪くない、変わらない、戻れない事実だけど。

せめて今日も大好きな二宮くんが大好きな人達に愛されて、笑っていてほしい。照れて照れてどうしようもないくらい赤くなってしまえばいい。どうかどうか、幸せでいて。
改めて、お誕生日おめでとうございました。